インドの文化と宗教と哲学などなど

 

素人の私が、インドの哲学を語るなんてとんでもないことだと思っています。ここでお伝えするのは私がインドに滞在した時に経験したことなどで、莫大な知識の集まりであるインド哲学が宇宙だとすると、米粒1つ、2つくらいの内容です。米1粒で本当のインド料理は味わえないと思いますので、関心がある方は、ぜひ興味がある分野の専門の本などをご覧ください。インド映画上映が増える際に、少しずつ内容を修正したり追記したりしていくと思います。

インドの神様 シヴァ神

インドの文化は、インドの主な宗教であるヒンドゥー教がベースとなっており、ヒンドゥー教は宗教であると共に哲学、歴史でもあります。ヒンドゥー教の教えのひとつに「輪廻転生」がありますが、このように終わればまた始まる、という考え方はヒンドゥー教の大きな特徴のように感じます。ヒンドゥー教ではたくさん神様がいますが、中心となるのが「ブラフマー」「ヴィシュヌ」「シヴァ」の3大神です。このうちのシヴァは破壊と再生の神様で、破壊の後にまた新たなものが生まれ、新たに生まれたものもまたいつかは終わらせる破壊の神様です。

「再生と破壊」のようにシヴァ神は、「恐ろしく素晴らしい」「凶暴であり慈悲深い」など対極にある2つが共存している存在で、ヨガや踊りや芸術の神様としても知られています。青色の肌で、額には第三の目があり、頭に三日月が乗っており、何本も手がありそのうち1つが三又の鉾をもち、別の手は太鼓を持っています。また、虎の毛皮を身にまとって、体には蛇が巻き付いています。この辺りの描写はシヴァ神の基本中の基本で、それぞれにどうしてそれをシヴァ神が持っているのか長いエピソードがあります。

シヴァ神にある第三の目は、実際の二つの目(物理的な視力)で物事を見るのでなく、内なる目で物事を見ることができる力とされ、幻視、透視、千里眼、予知のようなもので、つまりは真実を見る目であり、悟りを開いた人(開眼)という意味もあります。(関連映画『盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~』)

シヴァ神のパートナーはパールヴァティーという美しく穏やかでとても心優しい女神ですが、変身すると怖いカーリーという女神になります。二人の長男は、頭が像で体が太鼓腹のおっさんのガネーシャという神様で、商業の神様でもあるので、日本の招き猫的にたくさんのお店で見かけます。この辺の神様の話をすると、いつまでも終われませんね。インドに行くと、「好きな神様、だれ?」と聞かれることがあります。インド人には「お気に入りの神様」がいるんです。家や部屋にはお気に入りの神様のポスターが貼ってあり、神様プロマイドなるものも売っていて、インドでは神様がアイドル的な位置づけでもあるようです。(ちなみにお気に入りの神様を聞かれた時に答えていた私の好きな神様は、シヴァ神です。)

カースト制度

始まりは終わりの始まりで、終わりは始まりでもある考え方は、「輪廻転生」として人は死んでも生まれ変わると考えられています。この輪廻転生とカースト制度は結びついており、下級カーストや不可触人(Untouchable、アウトカーストというカースト制度に組み込まれていない最下位カーストのさらに下の人たち)は、前世でのカルマ(行い、業)が悪かったため、今世では良い行いをして徳を積むと次は高いカーストに生まれてこれる、と考えられています。カルマというのはインドでの言い方ですが、日本語にすると、自業自得という時の「業(ごう)」と同じ考え方だと思います。

宗教的な意味合いのカースト制度は政治的に廃止されましたが、職業などの区分である「ジャーティ」という階級(カースト制度)があり、生まれた時の階級は一生変わることなく、カースト制度は実際のところ今もインド人の風習として強く残っています。特に下級カースト(シュードラ)は、無教養でもできる単純労働者、使用人などの職業の者たちで、ほとんどは親の仕事がそのまま子供の仕事になります。『ガリーボーイ』でも「使用人の子は使用人だ」というセリフが数回出てきます。この下級カーストの者たち(と不可触人たち)は、上のカーストの人たちと共に食事をすることや、同じ食器を使用することなどを禁じられていたため、今でもこれが風習となって残っています。この辺り、『あなたの名前を呼べたなら』でも描写されています。

 

インドが出てきた映画

  ・中央アジア