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中東のことは地理的なことや歴史などを含めてよくわからないと思われる方も多いと思いますが、中東問題の起源は古代時代に誕生したユダヤ教と、紀元後に誕生したキリスト教と、6世紀ごろに誕生したイスラム教の宗教問題が深く関わっています。中世時代には、イスラム教国家とキリスト(カトリック)教国家が何百年もの間争い、20世紀になるとユダヤ教を信仰するイスラエル民族と石油の利権なども絡んで何度も中東で戦争が起こります。中東問題は素人の私が説明できるほど簡単な問題ではありませんが、イスラエルを語るには避けて通れないので、私がわかる範囲でご説明したいと思います。(もし間違った記述がございましたら、ぜひご指摘ください。)
古代中東ではメソポタミア文明などが発展しアフリカ大陸ではエジプト文明が花開いていました。紀元前12世紀ごろに現在のイスラエルがある地域でイスラエル民族が繁栄しヘブライ王国が誕生しますが、ここがユダヤ教の始まりとなります。その後、紀元後になるとイタリア半島から領土を拡大していったローマ帝国が西洋で栄え、古代イスラエルの地もローマ帝国が治めました。このローマ帝国の初期時代に同地域(現イスラエル)誕生したキリストの教えによるキリスト教は徐々にローマ帝国内に浸透していきます。キリストの誕生から6世紀ほど遅れて、現在のサウジアラビアのメッカで誕生したムハマンドを教祖としたイスラム教が誕生します。イスラム教はすでにあったキリスト教とユダヤ教の影響を受けていて、軍事活動によって勢力を広げていきます。
キリスト教信者の経典(聖典)が聖書であることはご存知の方も多いと思いますが、ユダヤ教の経典も聖書です。また、イスラム教の経典はクルアーン(コーラン)ですが、聖書にでてくる預言者(アダムとイブのアダム、ノアの箱舟のノア、十戒のモーセ、キリスト教の教祖イエス)の説いた教えを最後の預言者ムハンマドが語ったものがクルアーン(コーラン)の始まりとなっており、全く別の宗教のようで、実は重なりあっているところも多いのです。
初期イスラム帝国時代には、同じ中東で深く信仰されていたユダヤ教と何度も戦闘を交わしており、ローマ帝国とも信仰したり侵略されたりを繰り返し、ウマイヤ朝の頃はスペインも征服するほど領土を拡大しました。中世には、ローマ帝国を始めとするカトリック教の諸国が聖地エルサレムをイスラムから奪い返すために十字軍を派遣します。最初の遠征で(それまでイスラム教領土だったエルサレムを)十字軍が奪回し、キリスト教徒によるエルサレム王国が誕生しますが、100年後くらいには再びイスラム教勢力の支配下となり、最終的に13世紀よりイスラム教の領土となります。中世の後半にはローマ帝国(ビザンティン帝国)はイスラム帝国(オスマン帝国)によって滅亡させられ、イスラム教勢力は広範囲を支配下に置きます。
それから19世紀後半から少しずつヨーロッパに住むユダヤ人たちがユダヤ人のための国家イスラエルを建国する動きが始まります。第一次世界大戦でオスマン帝国が滅亡し、その後の第二次世界大戦後、国連決議という名目で(西欧諸国の思惑により)、現イスラエルの地にあったパレスチナの半分以上をユダヤ国家とすることを決定します。これが、1947年でこの年にイスラエルは独立宣言、翌年イスラエル建国を宣言しました。直後に第一次中東戦争が勃発。その後の休戦協定により、エルサレムは西エルサレム(イスラエル領土)と東エルサレム(イスラム国家であるヨルダンによる統治)に分断されます。1967年の第三次中東戦争により、東エルサレムは実質的にイスラエルが支配下に置いています。このことが、テルアビブ・オン・ファイアで何度もでてきた(パレスチナ側からすると)1967年の悲劇ということになります。
第三次中東戦争はたった6日間の戦争でしたが、イスラエルは空軍により一気にアラブ諸国の空軍基地を壊滅的に攻撃して破壊、エジプトからシナイ半島とガザ地区を奪い、ヨルダンから東エルサレムとウエストバンクを奪い、シリアからゴラン高原を奪いました。
上記写真はゴラン高原の谷間にあるクネイトラという場所。第三次中東戦争の最終日にイスラエル軍に占領され、イスラエル軍が撤退した際には、徹底的に破壊し廃墟となった街です。現在はイスラエルと国境沿いのシリアに位置しています。朽ち果てた戦車が放置されていたり、銃や爆破の跡もそのままシリアに戻された当時のまま保存されており、2006年時点では、国連の監視下に置かれ非武装地帯となっており、検問などを通って訪ねることは可能でした。
その後イスラエルは、イスラエル国内のパレスチナ自治区(パレスチナ人が居住を強制されている地区)を包囲。パレスチナ自治区内に住む人たちは、社会的、経済的に一方的に閉じ込めました。イスラエル建国以前から住んでいたパレスチナ人は割と移動の自由がありましたが、1967年以降エルサレム居住パレスチナ人の身分証明書を没収し、エルサレムから追放されパレスチナ難民となったパレスチナ人たちはガザ地区やヨルダン側にある難民キャンプへと強制的に追いやられました。東エルサレムに住むパレスチナ人の一部は、エルサレムやイスラエルを移動できる身分証明書を持っていますがガザ地区やヨルダン川西岸(ウエストバンク)に住む身分証明書を持つ人は移動には許可が必要です。(表面上は許可をとって移動はできることになっていますが、許可が簡単におりなかったり、どの身分証明書を持っているかで規制がかかったり、許可申請の手続きがややこしかったり、場合によってはただの嫌がらせなどにより、とても不自由です)
エルサレム近郊に住むパレスチナ人はイスラエル当局に規制、管理され様々な人権が保障されていない人たちもいます。またパレスチナ自治区に強制的にユダヤ人を入植させたり、エルサレムに住むパレスチナ人にはヘブライ語(イスラエル人の言語)を学ぶことを強制し、ユダヤ人化を進めています。 (関連映画『テルアビブ・オン・ファイア』)
『テルアビブ・オン・ファイア』に出てくるフムスは、代表的な中東料理です。イスラエルだけでなく、シリアやヨルダンでも食べることができました。
<私のフムスの作り方>ひよこ豆の缶詰1缶(カルディなど外国の食材を置いてある店にに売ってあります。乾燥のひよこ豆の場合は1晩寝かせて茹でて柔らかくする)タヒーニ(練り胡麻ペースト。ない場合は白胡麻のペーストでもだいじょうぶです)大さじ1から2。オリーブオイル 大さじ3〜4くらい。レモンの絞り汁(レモン半分ぶん)、にんにく2、3かけ、ミントの葉数枚。塩。
材料を全部フードプロセッサーにいれて撹拌したら終了!お皿に土手を作るように盛って、中にオリーブオイルを入れたら完成。ピタパンにつけて食べるのもいいですが、生のにんじんスティックやキュウリにつけて食べるのも美味しいですよ!