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ペルーは、南米にある国で、首都はリマ。スペインより独立した国です。太平洋に面した海岸地帯は砂漠があり、有名なナスカの地上絵があります。首都のマリモコスタ地方にあります。コスタ地帯から内陸のアンデス山脈地帯はシエラと呼ばれ、標高は高いところで6000mを越すところもあり、有名な古代都市マチュピチュがあるのもこの地帯です。
太平洋に面した海岸地帯はコスタと呼ばれ、砂漠があり有名なナスカの地上絵があります。首都のマリモコスタ地方にあります。コスタから内陸のアンデス山脈地帯はシエラと呼ばれ、標高は高いところで6000mを越すところもあり、有名な古代都市マチュピチュがあるのもこの地帯です。シエラからさらに内陸にはジャングル地帯となり、セルバと呼ばれています。このようにペルーはとても多様な国で、117 のライフゾーンうち 84 がペルーに存在するそうです。
主にスペイン語が話されていますが、他にもアンデス先住民の言語であるケチュア語とアイマラ語が公用語となっています。ケチュア語を話すケチュア人によるインカ帝国(タワンティン・スウユ)が興りました。その前にはアイマラ族が興した王国があったとも言われます。ケチュア人もアイマラ人も、日本人と同じ民族系統であるモンゴロイドとされています。インカ帝国の伝統の一部を継承していて、日本古来の考え方である八百万の神と同じようにアニミズム(全てのものに霊が宿っているいう考え方)を持っています。
19世紀初期にスペインから独立した後、ボリビア、エクアドル、コロンピア、チリなどの隣国や、再征服を行おうとしたスペインと戦ったりしたのち、第二次世界大戦後も将軍など軍部による政権が続きました。20世紀後半には選挙による政権が誕生しますが、地方まで力が及ばず、ゲリラが生まれることとなります。
1996年12月17日、ペルーのリマにある日本大使館で、天皇陛下のお誕生日を祝うレセプションが行われていた際に、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)が突撃してきて、人質を取り大使館を占拠しました。
最初は621人の人質がいましたが、MRTA側は14人と少なく、元々強行的な武力派な組織ではなかったことから、1週間以内には健康状態の優れない人、高齢者、女性は解放され、最終的には72の人質が残されました。それから人質となった方たちは、翌年の4月22日まで127日間拘束されました。
以下詳細に関しましては後程、追記いたします。
リマ症候群
左より... 『人質―ペルー日本大使公邸の126日』(青木 盛久 、 岡崎 久彦著) 内部(人質側)から見た事件:日本大使による手記 『人質127日―ペルー日本大使公邸占拠事件』斎藤 慶一著 内部(人質側)から見た事件:民間人による手記 『封殺された対話―ペルー日本大使公邸占拠事件再考』小倉 英敬著 内部(犯人側)による聞き込みからみる事件:大使館職員でありペルーの現代研究者による考察。 『ペルー日本大使公邸人質事件』共同通信ペルー特別取材班, 石山 永一郎他 外部からみた事件:共同通信社 『突入―ペルー人質事件の127日間』 NHKスペシャル「ペルー人質事件」プロジェクト 外部からみた事件:NHKスペシャル 『「ペルー人質事件」解読のための21章』太田 昌国著 事件中に |